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稗に心を寄せて(1)

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米作りで一番農家の嫌う雑草はと言えば、稗に決まっている。どんな農家でも異論はないだろう。今回は、その稗に心を寄せて連載で自分の考えを記してみたい。

早速はじめよう。稗は嫌われる要素を見事に全て備えている。稗は稲とそっくりで田植えの後で生えてくるが、小さいころはほとんど見分けがつかない。植物の世界でこれほど見事に他の植物に似せて自分の体を作った生き物はきっといないに違いない。

だから、稲株に寄り添って育つ稗はなかなか取り除くことができない。気が付くと、もう根っこが稲の苗の株元をすっかり囲むようにして稲を羽交い絞めにしていることも少なくない。もちろん、そうされた稲は貧弱で成長不良になっている。収量はがくんと落ちる。

稲と比べて、稗の繁殖力は感覚的にいうと5倍から10倍ぐらい強いのではないだろうか。稗は稲穂が出るころには、30株,40株ぐらいまで増えていて、抜くに抜けなくなっていることも少なくない。稗が田んぼに数株あったとすると、それをきれいに除去しなければ、翌年はそれが数百株にも増えることが珍しくない。稗取りを2、3年放置すれば、4年目は稗を栽培しているのかと見間違うほど、田んぼ一面が稗がはびこってしまう。

稗は取っても取っても次から次へと生えてくる。第2弾、第3弾、第4弾と数えていけば、第10弾ぐらいまで伏兵が隠れているのではないだろうか。だから、たいていの場合農家の方が根気負けしてしまう。また稲刈りの前にきれいに取り除いても、第9弾あたりが体を伏せて待ち伏せしていて、稲刈り後に小さな背丈でもちゃんと実をつけて、種を落とす。

稗の種は軽いので、雨で流れて、隣の田んぼや他の田んぼにどんどん侵入していく。風でも結構離れたところまで飛んでいく。そして、次の年には他の田んぼでしっかり芽を出す。だから、稗を取らないと、周りの農家からすぐ苦情が出る。

ざっと、思いつくままに稗の悪態振りを挙げてみた。稗のことを知らない読者はこのレポートを読んで、少しは稗の恐ろしさがお分かりいただけたのではないだろうか。

続く

不耕起でもこんなにでかい!

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(いのちいきいき栽培研修会6回目)

不耕起栽培と聞くと、関心のある人ならすぐ無肥料栽培を連想する人が多いと思います。そして、よく知っている人なら、不耕起だとあまり生育がよくないのではないかと思うかもしれません。

確かに、私の経験でも耕した畑の作物と比べると、不耕起栽培の作物は大きさも生産量も少ない傾向があります。なので、私は最近では不耕起栽培でも肥料をやることが多くなっています。それでもまだ普通の栽培より収穫量は少なめです。その代り、鮮度や密度は抜群です。

ところが、写真にある在来種のとうもろこしだけは別物です。甲州という品種ですが、種まきした時に元肥を適度に入れるだけで、ぐんぐん伸びて、背丈は2m以上にもなります。そして、8月中旬には、ご覧のように実にびっしりと実が付いた大物になってくれるのです。一粒一粒が大きくて、姿は豪快です。虫もほとんど入りません。普通の有機栽培のとうもろこしだと、虫の侵入を防ぐのはとても難しいですね。

それで、味はどうかというと、「馬になった気分で食べてください。」と私は研修生に真顔で言います。すると、研修生からどどどっと笑いが噴き出します。

この品種は明らかに穀類系ですね。粉にしてタコスみたいに加工して食べた方がよさそうです。まだ未熟なうちに焼いて食べるという方法もあるそうです。我が家ではいくら作っても家族がほとんど食べてくれません。甘くて柔らかいのに慣れてしまっているので、見向きもしません。「世界の9億の人は飢餓で苦しんでいるんだよ。」と言っても、どこ吹く風といった顔をしています。

それでも、私は毎年甲州を作り続けています。いつか、どこかでこの穀類系が飢えを凌ぐのに大いに役立つ日が来るだろうと信じて。

研修生にはお土産に一本ずつ差し上げました。どうやって食べたのか、次回の報告が楽しみです。

小川

バインダーが描く幾何学模様

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ここは縦に長い長方形の5畝(500㎡)の田んぼです。稲刈り前は稲穂が一面を覆っていました。そこをバインダーで刈り取っていくと、バインダーが刈って束ねた稲わらを放り投げていくのですが、その進行にあわせて、独特の幾何学的な模様が大地に描かれていきます。

右側の写真は、もう9割がた刈り取った時に現れた模様です。ここまでくると、なんだかスキンヘッドの髪形を仕上げた床屋さんのような気分になります。そして、左側は、その最後の”髪”を全部刈り取って束ねてしまったときの光景です。わずか数分で様子はずいぶん変わりますね。

このように、バインダーで稲を刈るときにはバインダーが大地に美しい幾何学模様を描き出します。私はこれを見るのが毎年の楽しみです。できれば、数日間はそのままにしておきたいのですが、それでは仕事になりません。早々に干し場を作って、どんどん干していきます.それをはざかけと言います。

すると、そこに今度は全く別の新しいオブジェが誕生します。

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そのような模様の変化を見るのが稲刈り作業の楽しみの一つです。

いよいよ来週から稲刈りが始まります。稲刈り模様やオブジェが見たい方はご連絡ください。日時と場所をお知らせしますので。

小川

お米の商品化

今年の自然耕塾も早いものでもう9回目を迎えました。

不耕起冬期湛水の田んぼの稲は穂をつけて、たくましい姿になりました。

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さて、自然耕塾では、午前中は実習、午後は講義というのが基本形式です。

午後の講義は、今は亡き岩沢信夫先生がご自身で作成された講義ノートに沿って講義を行っています。このノートの中身が非常に濃くて、最新情報も取り入れて、専門的な知識がきっしりと詰まっています。ただ、米作りについて時系列で書かれているので、その中から毎回講義のテーマを探し出すことが求められます。それが、講師の仕事だと思っています。

私が探し出した今回のテーマは「お米の商品化」です。いよいよ稲刈りを間近に控えて、稲刈り・脱穀をこなすと、お米が収穫できます。その籾を籾摺りすると、玄米になります。玄米=「玄米という商品」と理解している人が多いのではないでしょうか。

いえいえ。それはとんでもない誤解です。実際は、籾以外にも、小石をどけて、ゴミをどけて、小粒なコメをどけて、割れたお米をどけてという風に、粒ぞろいの「きれいなお米」にするまでにはまたまた長い道のりがあるのです。そのためにコメどころでは数億から数十億もするような巨大なコメ商品化プラントが設置されています。

自然耕塾に学んで将来お米を生産したいと思っている人たちはそういった既存のルートに乗るような人たちではないので、今言ったようなことを最小限の規模で実現する必要があります。講義ではその辺のノウハウについてお話しています。

その中で一番重要なことは籾で貯蔵することだお伝えしています。籾という完全な生命体で貯蔵することが一番自然の摂理にかなっているのは言を待ちませんが、それを出荷するたびに籾をするというこまめな対応をすることが一番おいしいお米を一番新鮮な状態でお客様にお届けできて、なおかつ巨大プラントの論理に陥らないですむ、”別の道”を歩む前提になるように思います。お客さんと直接繋がることが同じよう重要なことです。そうして、三つ目に重要なことは、智慧を働かせることです。それを楽しいゲームと思って取り組むと、”別の道”が開かれていくように思います。

例えば、今回は、敢えて、「くず米」と言われる小粒米や、青米などが混ざったお米を塾生に試食してもらいました。すると、みなさんは「おいしい!」で一致しました。そうなんです。有機栽培のお米は「くず」でもおいしいんです。「安ければ、買う人もいるんじゃないですか。」という感想もありました。実は、そのような発想は米つくり専業農家にはまずありません。「きれいなお米」でないと商品ではないと決めつけているからです。私は前々から気になっていたくず米の扱いについて、このヒントをもとに、なんとか消費者が喜んで買ってくれるような「商品」にする工夫をすることに決めました。

ま、こんな感じで「商品」とはなにか、塾生ともやり取りしながら、ワンパターンではない学び合いをしています。

小川

 

 

生物多様性「大家族」戦略

今年は国際生物多様性年     (※ 2010年に発信したものです)

今年は国連の国際生物多様性年に当たり、生物多様性条約の第10回締約国会議が名古屋市で開かれることになっています。私達「大家族」にとっては目を離せない動きです。

『複合汚染』

有吉佐和子さんの『複合汚染』が新聞に掲載されたのが1974年〔昭和49年〕から1975年にかけてですが、その中では食物連鎖や汚染物質の生体濃縮について、おそらく当時の新知識として紹介されたと思われますが、生物多様性については何の言及もなかったように思います。

日本に農薬や有毒な重金属が環境にばら撒かれて海や山、空や川や田んぼなどが汚染されるようになったのは早くは1900年の初めに遡りますが、生物に深刻な影響を及ぼすようになったのはやはり戦後になってからです。覚えやすいように言うと、生物多様性の危機は、国民が頭の上からDDTを撒かれた辺りから「本格化」しています。

『沈黙の春』

そして、最初の危機が人体に病気や奇形、奇病,精神病などの形で現れたのが1960年代からです。レイチェル・カーソン女史による歴史的名著『沈黙の春』は1962年に発行されています。『複合汚染』より12年前のことで、今からほぼ半世紀前のことになります。日本でもアメリカでも生命の危機に敏感なのは女性だということは知っておかねばなりませんね。今は、世界中の生き物の生命が危機に瀕している時代です。そのときに男性はちょっと黙っていたほうがいいかもしれない。女性にも鈍感な人がいるでしょうが、感受性の高い女性について、母性豊かな女性の生命感覚でやっていたほうがずっといい。私は男ですが、あえてそう言いたいと思います。

「沈黙」し始めた春

さて、半世紀たった今、その一ページ目に書かれている「寓話」が次第に現実のものとなりつつある。「寓話」とはそもそもありもしないばかげた話だが、何かを諭すための話だろう。それが現実化してしまったら、どう考えればいいのだろうか・・・・・。

「ところが、あるときどういうわけか、暗い影があたりにしのびよった。いままで見たことも聞いたこともないことが起こりだした。若鶏は分けのわからぬ病気にかかり、牛も羊も病気になって死んだ。」

確かに死んだぞ。なぜカーソン女史にはそんなことが予測できたのか。いや、しかし、私達は鳥インフルエンザの原因も、狂牛病の原因も知っているぞ。しかし、だからと言って、それがどれだけの意味を持つのだろうか。

「農夫達はどこの誰が病気になったと言う話でもちきり。」

それが有吉佐和子氏に『複合汚染』を書かせる大きな動機となった。カーソン女史のその予感はたちまち現実化したのだ。

「町の医者は見たこともない病気に戸惑うばかり。そのうち、突然死ぬ人も出てきた。何が原因か、今もって分からない。」

確かにそうなった。しかし、ちゃんと病名だけはつけてあって、新種のオンパレードだ。表面的に分かった振りだけはしてるぞ。例えば、○○症候群ってやつがそれだ。

「自然は沈黙した。薄気味悪い。鳥達はどこへ行ってしまったのか。」

いや、まだ沈黙はしていない。スズメもたくさんいるじゃないか。メジロもヒヨドリもシジュウカラもキジバトも。しかし、実際は、スズメは激減してるそうだ。近くの沼が公園になったら、いつの間にかツバメがすっかり消えた。子どもの頃夕暮れ時に集結した夥しいツバメのけたたましい鳴き声でそばを通るのが恐かったほどだったのに。

「今はもの音ひとつしない。野原、森、沼地 ― みな黙りこくっている。」

いや、そんなことはない。しかし、確かに田んぼにいても、カエルの声が非常に少なくなった。小魚は農薬で毎年全滅だ。野原なんて、そもそもなくなってしまった。トラクターで頻繁に耕される黒い大地が砂漠以上の砂漠だなんて、誰も知らない。畑には虫も小動物もあまり見かけない。森、森は幸いまだふんだんにあるが、暗くて鳥のさえずりはあまり聞こえない。自然は静かでおとなしくなった。

「りんごの木は溢れるばかり花をつけたが、耳を澄ましてもミツバチの羽音もせず、静まり返っている。花粉は運ばれず、りんごはならないだろう。」

え、まさか。どうして女史はそんなことを見通していたのか。いや、寓話だから書けたのか。今、世界中でミツバチが失踪して、静けさが、いや、やはり「薄気味悪い沈黙」が春の野山を覆いはじめているのだ。私の畑でも菜の花が咲き乱れている。しかし、毎年ぶんぶんとやたらうるさかったミツバチは今年は数えるほどしかいない。まさか・・・

生物貧弱性が覆う日本の国土

畑でも田んぼでも生物多様性はすでに相当犯されているのは間違いない。生物貧弱性が目に見える。後どれだけ犯されれば、田畑の「自然は沈黙」してしまうのか。残された時間は多くない。なぜなら、生態系のあちこちが破損している今、その屋台骨がもう一つ折れれば、生き物を囲って守っている屋台の屋根は突如として完全崩壊しかねないからだ。空を真っ黒に覆うほどありふれていたアメリカリョコウバトが絶滅したのはまさにそのような突然の出来事だった。

「大家族」は行動する環境団体

大家族が『生き物との共生』を目指す理由はここにある。正確に言うと、単に今いる生き物達との共生だけではなく、田んぼ環境の再生、すなわち、湖沼生態系の復活を通して、畑では草地生態系を復活させて、その生態系に生息した生き物達の中で、まだ絶滅は免れてはいるものの、青息吐息でひっそりとどこかで生きながらえている生き物を復活させたい。殺され、虐げられ、無視された無数の名もない生き物達に棲家を与え、元気にさせたい。そして、少しでも生物貧弱性を改善して、できるならば生物多様性に繋げていきたいものだ。それが「大家族」という会社が行う農業の大きな目的の一つだ。

まずは田名の田んぼ環境再生

私達は幸運にも田名の耕作放棄地の一角約2反(2000㎡)を地続きで借りることができた。そこは背後に森が控え、湧き水が豊富に流れて、小さな小川となり、手前にある八瀬川に合流している。小さいながらも谷津田の環境にある。そこにはかつて貴重な動植物も生息していたが、長い間の田んぼの消滅によって、生き物達は散り散りになってしまっている。あるいは種が休眠した状態にある。

私達は去年から10数年ぶりに放棄された田んぼを再生して、そこで稲育てを始めた。5枚の田んぼは冬季湛水して、沼地化してある。今年は八瀬川と田んぼを魚道で結び、さらに湧き水から川まで生き物が自由に行き来できるようにして、冬を越すことができる深めの沼もこしらえて、真に水辺の生き物に優しい田んぼ環境を創造していきたい。そして、後は淡々と米作りにいそしんで、生き物のことは自然に任せて、生き物のベッドタウンとなった所にどのような生き物が戻ってくるか、棲み付くか、静かに腰をすえて観察していきたい。

きっとその場所の生物貧弱性は解消できると思う。今なら、まだ間に合う。そんな気がしている。

以上

 

追記(2014年9月18日)

冬期湛水をしたその水田には絶滅危惧種IB類に属するホトケドジョウが復活し、今では大繁殖している。神奈川県内の田んぼでは非常に珍しいそうだ。  (小川 )

9月のきゅうりは不耕起に限る

第5回いのちいきいき栽培研修会の報告を再開します。

9月の研修会は14日にありました。

9月は秋冬野菜と、さらには来年春取りのキャベツやたまねぎ、それからもっと先に行って、一年後の秋収穫のねぎの種まきなど、まさに種まきのオンパレードです。

その話もしたいのですが、今回もっと盛り上がったのは、不耕起栽培のきゅうりの観察をした時でした。

不耕起の畑では今きゅうりが元気に地を這って成長中で、次から次へと花を咲かせては実を成らすという営みをやっています。

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ここ相模原ではきゅうりはたいてい9月20日を過ぎると涼しすぎて、ほとんど実をつけなくなります。しかし、不耕起栽培のきゅうりは大地がまだ熱を保っているので、そのあとでも実をつけてくれます。去年は10月15日ぐらいまでなり続けてくれました。これはありがたいことです。

また、不耕起のきゅうりはゆっくりと大きくなりますが、その分中身が締まっていて、噛みごたえはまるで新鮮なリンゴをかじった時のように、ぱきっと割れる感じで、爽快です。さらには、味も甘みが濃いのです。研修生のみなさんにも味見をしてもらったところ、納得してくださったようでした。

「このきゅうりは一本100円で売れるんですよ。」と研修生に説明すると、にわかに色めき立ちました。

「もっとも今年は8月の天候不順で普通のきゅうりでも90円もするので、全然高級感が出せなくなってしまいましたが。」というと、どどっと笑いが起こりました。

このように、9月のきゅうりは不耕起で育てるに限ります。一石四鳥ぐらいになりそうです。

小川