49%の絶望と51%の希望

          2008年1月8日    小川 誠

第2章 

「今ここに命あること」が希望である

神秘に満ちた生命の世界

生きることの楽しみは人それぞれ千差万別でしょうが、私は生命の神秘を見詰めることが楽しみの一つです。生命は見詰めれば見詰めるほど神秘に満ち、不思議に満ちています。今年孫が誕生して、日々その変化と成長の姿に接していると、非常に明確な一つのメッセージが伝わってきます。それは、「生命の誕生と日々の成長は限りない希望である」という「命の世界」からのメッセージです。生まれたばかりの赤ん坊は植物状態に等しく、しかも自分で自分の身の安全を守ることすら全くできない、無防備で無能な存在です。できることは泣くこと、おっぱいを吸うこと、眠ること、そして排泄することぐらいです。これはどうみても進化の大失敗作です。しかし、このあまりに無防備で、無能で、母親に100%その生命の維持を依存した存在を前にすると、私たちはその生命をなんとしても守り、育てていきたいという衝動に駆られます。それは無条件にそう感じてしまいます。私たちの命がそのように感じさせるのです。それは理屈でも、義務感でも、思想でも、道徳意識からでもありません。

地球上のあらゆる生命現象界を捉えて「地球生命の世界」とか、もう少し縮めて「命の世界」と呼ぶならば、個々の命は「命の世界」と繋がっている。ヒトは心を澄まし、耳を澄ませば、「命の世界」の思いを感じ、その声を聞くことができる。

赤ちゃんの適応能力欠如の意味

 さて、その植物状態の赤ん坊が日に日に成長していく過程は興味が尽きません。それは私からすれば、まるで部品だけ組み立てたものの、回路がでたらめに配線されたために手足がとんでもない動きをするロボットのようです。手がまともにおもちゃをつかめるようになるだけでも5ヶ月も6ヶ月もかかるのですから、不器用極まりません。人間の赤ん坊だけがなぜ他の動物と違って、これほどまでに不完全な状態で生まれるのでしょうか。これが進化の頂点に立つヒトという種が自ら選んだ選択でしょうか。どう考えてもそうとは思えません。ただ事実においてヒトという生物はその生命の誕生の初めに母親とその家族から無限と言えるほどの手間ひまをかけて面倒を見てもらい、愛情を注いでもらわないと、ヒトとしてまともに成長できません。そのような大きな回り道をするように仕組んだのは誰でしょうか。私は「命の世界」の仕業だと思います。それは神と呼んでもほぼ同義かもしれません。

ヒトの進化に「命の世界」は深く関与している。

興味尽きない擬態

枯れ葉の形にそっくりな甲羅をもった熱帯の虫、ランの花そっくりの色と形をした熱帯のカマキリ、木の枝そっくりの形をしたナナフシなど、世界中の虫の中には実に見事に周りの物や生き物にそっくりの色や形をした物まね名人がいます。私はどうやって彼らはそのような形態や能力を獲得できたのか、昔から不思議でなりませんでした。学校で習った、突然変異と適者生存(自然淘汰)の法則だけでそのように進化したという説明ではどうしても納得できませんでした。なぜなら、彼らの真似の仕方は絶妙で、その姿は、どれも巧みの世界の熟練工にしかできないような芸術作品だからです。それがただの偶然の積み重ねで起こったとは到底思えません。例えば、ランそっくりのカマキリは自身を鏡に映さなくてはそっくりかどうかわかりません。それをどうやって知り、どうやって子どもがランそっくりになるようにしたのでしょうか。私は「命の世界」が鏡を提供し、そっくりに整える理髪師の役もしたのだと思います。つまり、擬態はその生き物の“願い”を知り、その願いを実現しようとするただならぬ“努力”を知った「命の世界」が手を貸して、DNAに働きかけて実現したのではないでしょうか。

地上のあらゆる生物の進化はその生物と「命の世界」の相互作用、共同作業によって起こっている。

これが進化の真実ではないかと感じています。

ヒトの進化の方向と現代人の方向のずれ

ヒトの話に戻ると、「命の世界」との相互作用で決められた進化の方向はと言えば、これまた他の生物とは大きく違って、ヒトは明らかに地上環境への完全な適応を目指してはいません。誕生の初めから、私たちは環境不適応の極みを演じています。その意味は一体何でしょうか。やはりヒトという種は地上的な様々な制約、ある意味で逆境の中でほどほどに衣食住の満たされた生活環境を作り、その上でどのようにして愛とか、調和とか、理想とか、創造とかいった、精神的な形質の完成を実現するかを課題として与えられた生物のようです。その点で、ヒトは「最適な環境」という概念を必要としない、唯一の生物かもしれません。ヒトにとって、生活環境は精神的な進化のために必要な物質的、社会的な制約や条件なのです。現代の先進国の侵した大きな過ちは、自然環境を大規模に破壊して、ヒトにばかり好都合で人工的な最適な生活環境を作りあげ、物資的な豊かさを人生の目的とする世界を作ってしまったことです。それは、ヒト本来の進化の方向から大きく逸脱しています。今、起こっている温暖化などの地球の諸問題は、そこに根本原因があると気づかねばなりません。

「命の世界」がヒトに託したのは、自然と調和した生活環境で、精神的な形質の向上と飛躍(進化)によって精神世界を豊饒にすることである。

「命の世界」は無限大の情報倉庫

「命の世界」は地上に生命が誕生した38億年前から今日に至るまでの連綿たる生命のリレーが行われている世界です。そこには一瞬たりとも命が途切れたことはないのです。その意味は非常に重要で、私たちヒトもその生命のリレーの中で生存の為に必要なもの(能力や形質や智恵)を全て遺伝情報として受け継いできています。発生学がそれを証明しています。「命の世界」にはそのような無限大ともいえる地球の歴史と生命の情報が保管されています。だから、ヒトという種はかつてあったであろう全ての地上の出来事には十分対応していけるだけの智恵を自らのうちに持っているはずです。それが呼び出せないなら、「命の世界」に意識を向ければ、そのような情報を自らの生命感覚で捉えることが可能だと思われます。

「命の世界」の智恵を引き出そう

環境大破壊の時代にあって、日本を含む先進国の人々が最優先課題として取り組むべきは、「命の世界」との繋がりを復活させて、その智恵を引き出すことです。そうすれば、必ずや山積する人類の諸問題に解決の糸口が得られることでしょう。いや、すでに世界中で多くの人々がその智恵を蘇らせたり、引き出したりして、それを生活の中で生かして日々を静かに送っているか、あるいは活発に、未来に希望を持って活動しています。「命の世界」と繋がりを取り戻すのはその気になれば、さほど難しくありません。前述のとおり、心を澄まして、自身の命に、体や心の声に耳を傾け、自身も本来その一部である自然界に耳を傾けることです。土と触れあうことも有意義です。霊性を高める業もいいでしょう。そうして、生命感覚を呼び覚まし、命の全身感覚を蘇らせることが大切です。

「命の世界」としっかりした繋がりが復活すると、周りで何が起ころうとあまり動じなくなります。なぜなら、そういう人たちは自分の力量を心得ていて、それぞれの能力と与えられた環境において自己の精神的な形質(=個性)を向上させるというヒトの進化の方向に沿った生活をして、ぶれなくなるからです。

命は命自ずから進むべき方向を知っている。

今ここに命あることが希望である

「命の世界」は常に進化の過程にあります。進化とは、“人生にとっての意味”という視点から言うと、希望です。今私たちが生きていること自体が進化の実現した姿であり、次への一過程でもあり、進化の意味は“よいほうに変わることができる”という希望です。

「命の世界」とは今生きて命あるものを無条件に全面的に生かそうとする宇宙の働きのことだ。

その働きが希望の本質です。今生きていることは、そのまま、今生かされているということ。そのことが深く感じられると、涙が流れて止まらなくなります。

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